最初からハマッていたわけではない
娘がヤマハ音楽教室に通い始めたのは、3歳の年少の時。
おんがくなかよしコースからのスタートでした。
おんがくなかよしコースのコンセプトは、
想像することが大好きな3歳。
ヤマハ音楽教室公式サイトより
イメージを広げながら音楽とふれあい豊かな表現力を養います。
…とのことです。
略しておんなかって言うんだよ
心の声
なんでも略せばいいと思うなよ?
このコースは弾くというより音楽が楽しいことを知るといったコースで、
音楽に合わせて絵本を見たり、お話をしながら鈴を鳴らしたり。
音楽に慣れ親しむようなレッスンだったので、
鍵盤はほとんど触っていなかったです。
幼児科に進級するけど
幼稚園年中からは2年間の幼児科へと進級します。※幼児科の入会時期は4歳か5歳で選べます
幼児科になると、最初は右手でドドドから始まり、
だんだんと音が増えて、両手になって…
音楽を楽しむことから音楽を奏でることになるわけです。
また、幼児科は親同伴のグループレッスンとなります。
比べたくなくても、どうしても周りの子の様子を見ちゃいますよね。
そこで母は何を思ったかというと、
娘……手がちっせぇ!w
娘だけ手が届かない問題
幼児科が進んでいくと、ドミソやシファソなど簡単な和音も出てきます。
手が小さい…というか、背も低くて全体的にミニマムな娘、
当然和音が届かない!w
和音を弾こうとしてもべちゃ~と不協和音が鳴り響いていました。w
グループ内で一人だけ不協和音を奏でていた娘ですが、
本人は「まあしょうがないよね~」って感じで特にそれが嫌とか気にする様子はなく、
のほほんと音楽を楽しんでいました。不協和音で。
少しは気にしろ?w
もともと練習好きなタイプではない
おんがくなかよしコースのときから、ヤマハ教材の曲を聴いたりDVD見たりなど、
簡単な宿題はありました。
でも娘は積極的ではなかったので、
いつも私が一緒に宿題をやろうと声をかけていました。
別に宿題が嫌いというわけではなくて、
遊びたいが勝っていて、特に工作系が好きでした。(今も好き)
幼児科になってもそんな感じのスタンスだったので、なかなか自分からは練習をしなかったです。
でも私は、ほかの違うことがやりたいならそれはそれでいいや、
なんて思っていたので、
無理に練習に誘うことはなかったです。
娘のターニングポイント
そんなこんなで幼児科2年目の夏ごろ。
それまで手が小さくて届かなかった和音が
届くようになったのです\(^o^)/
届いた届いた~!!と、娘興奮気味で知らせてくれたのを覚えています。
それがよほど嬉しかったんでしょうね。
その日から練習の虫へと進化しました。
練習したらした分だけ上手くなる
届かなかった和音が届いたことによって猛練習を自分からするようになった娘。
長時間狂ったように弾いてたりもしていました。w
秋ごろからの教材【ぷらいまりー4】は、1か月もしないうちに全曲弾いていました。
ちなみに当時の幼児科の先生は、
「幼児科で予習は絶対ダメ。イメージが崩れてしまうから」
という先生だったのに、娘は我慢できなかった…w
どんどんいろんな曲が弾けるようになってとても楽しそうだったので、
母も予習を止めることはなかったですが、
今思うと、市販の楽譜買ってあげたらよかったなって。w
幼児科の頃はぷらいまりーしか弾いてなかったよ
心の声
ヤマハ以外の曲買ってあげればよかったのに
当時なぜか思いつきもしなk……………
いやほらヤマハの教材って間違いないじゃん?
心の声
信者かよw
まとめ
こんな感じで、娘は最初から音楽にどっぷりハマっていたのではないし、
私もハマらせようなんて思いませんでした。
なのでその数年後、こうして毎日たくさん練習して、たくさんの曲が弾けるようになって、
そしてたくさんの方に聴いていただけるなんて、
夢にも思っていなかったです。
娘がこれからも努力を続ける限り、母も全力で応援します。(^o^)/